【レポート】
東北探読会。その記念すべき第一回は、宮城県岩沼市で開催されました。
東北在住はもちろん、東京の学衆や、一般参加の方も加わり、総勢16名でのスタート。
岩沼駅に集合し、一路竹駒神社を目指します。

※学衆…イシス編集学校では受講者のことを学衆(がくしゅう)と呼ぶ

JR岩沼駅
はじまりはJR岩沼駅から
JR岩沼駅前の松尾芭蕉像
JR岩沼駅前の松尾芭蕉像
奥州街道は岩沼で陸前浜街道へと分岐
奥州街道は岩沼で陸前浜街道へと分岐
本陣・南町検断屋敷跡
検断屋敷跡、武士や商人達の屋敷の面影が残る

ここ岩沼は、奥州街道と陸前浜街道(別名:江戸浜街道)の分岐点にも当たるため、交通の要衝として宿場町が栄えました。
名残の町並みを通り抜けると、壮大な大鳥居が私たちを出迎えてくれます。
石畳の参道をまっすぐ進むと、阿吽のお稲荷さんの後ろに荘厳な隋身門、向唐門。そして本殿・拝殿へと向かいます。

日本三大稲荷・竹駒神社
日本三大稲荷・竹駒神社

拝殿の左側には、奥宮へ続く地下通路。「元宮跡」と書かれた前社殿は、平成2年に焼失したため、平成5年に今の社が再建されました。

境内社として祀られる神社に、それぞれの思いを込めて祈ります。

お参りを済ませ、今度は陸奥の歌枕として慕われた、「武隈の松」へ向かいます。
現在の二本松は7代目。史跡公園として囲まれた中に、8代目の松とともに空高く枝葉を伸ばします。

武隈の松(二木の松)
武隈の松(二木の松)
狛犬ではなく狛狐
竹駒神社の狛狐
東北探読会の様子

武隈の松と竹駒神社の間に位置する「えんがわカフェ」にて和みの昼食そして、お待ちかねの探読会。
自己紹介を済ませ、亭主・森さんによる案内で、「知の編集術」を皆で輪読します。
今回の鍵となる千夜千冊は、番外篇「1417夜 北上幻想(森崎和江)」。未曾有と言われた東日本大震災の混乱が、まだ収束しない5月末に取り上げられました。

母なるもの
それは正体のわからないもの。
しかし突然にわかるもの。

森崎さんの母国幻想がふくらんだ、北上の安倍一族の消息から、負の歴史を担い、北へ追いやられた東北の歴史を共通認識としながら読み進めます。前九年・後三年の役に触れながら安倍頼良の歴史を追い、先ほど目にした史跡や、歩いた道のりを思い返しながら新たな思いで東北を見つめなおします。

多くの歌枕となる地を持ち、平安女流文学者たちに愛された陸奥紙の産地として都に知られた東北。その一方で侵略され、3.11を経てなお負の歴史を担うこととなりました。

同じ千夜千冊の中に登場した、谷川雁の「北がなければ日本は三角」。

呼応するかのように語られる「確かに日本は、北がなければ三角なのだ」の校長の言葉が、大きな問いとなって私たちの心を揺さぶります。

千夜千冊を読む
ワークショップでは「○○がなければ、日本は三角」をお題に、編集稽古をしました。
今日一日をリアルで過ごした時間を通し、去来した東北をインタースコアして披露します。

何が変わり、何が変わらないのか。3.11さえも語りにくくなっている今こそ、ますます「編集」が求められます。私たち一人一人が発信する編集には何があるのかの灯火を胸に、再会を誓うのでした。

(文責 原田祥子)

【今回訪れた場所】

●JR岩沼駅
●旧国道4号線・奥州街道
●竹駒神社【参考リンク:宮城県神社庁】
●武隈の松(二木の松)【参考リンク:東北観光ポータルサイト】
●えんがわカフェ・ショップどんぐり【参考リンク:えんがわカフェ】

【今回取り上げた千夜千冊・文献】

松岡正剛「知の編集術」 講談社 2000
千夜千冊1417夜 森崎和江「北上幻想」 岩波書店 2001

【岩沼市のご紹介】

昭和46(1971)年に市制施行された岩沼市は、宮城県中部にある仙台市から南に約18kmに位置し、総面積60.45k㎡を有する人口44,332人(平成28年12月末岩沼市HPより)の商工業都市として発展。早くから集落が開け「武隈の里」と呼ばれており、平安初期の「和名類聚抄」(930年代)によると、7つの郷から成る名取郡のうち、玉前郷と指賀郷が岩沼にあたるといわれている。西側は丘陵地帯であり、東側は平坦な沖積平野で太平洋に面し、南側の亘理町との境に流れる阿武隈川下流北岸に位置している。

西部には古代の東(あずま)街道、近世には奥州(陸羽)街道と陸前浜街道と、旧街道・分岐点として栄えたこの地は、現在も国道(4号線と6号線)及びJR(東北本線と常磐線)の分岐点となる。陸奥国府や駅伝・伝馬の駅が置かれていたこと、また往事陸奥一の馬市と呼ばれた宿場町の跡からも、岩沼は古くから重要な宿駅だったことが偲ばれ、その名残は竹駒神社境内にある馬事博物館に面影を残す。さらに阿武隈川を使った水運の拠点としても栄えた。

今回、未知奥連が訪れた竹駒神社は、承和(842)年には小倉百人一首で知られる小野篁卿が陸奥守として着任した際、現在の伏見稲荷(京都)を勧請し、奥州鎮護を祈願して竹駒神社が創建されたと伝えられる。永承年間(1046〜1051)になると、陸奥国を歴遊中の能因法師が竹駒神社に隣接して庵を構え、これが別当寺の竹駒寺として仏教の拠点となったといわれる。竹駒神社は古くは平泉藤原三代、その後仙台藩主伊達家歴代領主からも厚く庇護され、文化4(1807)年には正一位の神階を受ける。

江戸時代までは「竹駒明神」と呼ばれ、この地にあった真言宗・竹駒寺が別当を務めていた。神仏混淆の時代、寺社と呼ばれた時代は寺が中心となっていたため、その一角に竹駒明神があったといわれるが、明治に入り神仏分離政策のため竹駒寺住持は伊場野聖成と名乗り神官となった。明治2(1869)年に竹駒寺は廃寺の運命を辿り、明治7(1874)年には、竹駒神社として県社に列せられるまでになった(竹駒寺はその後、末寺に受け継がれ竹駒神社より少し離れたところで再建を果たす)。

千貫神社、金蛇神社、長谷寺、東安寺、鼻輪の松、など多くの史跡に富む岩沼は、千年の昔から「東北を旅する人々は必ず岩沼を通る」とも言われる地。なかでも「武隈の松」は、陸奥に数多くある歌枕の中でも詠歌が目立って多い名松として有名で、藤原元良をはじめ多くの歌人、松尾芭蕉や司馬遼太郎など「旅の達人」と呼ばれる文人たちが、句や紀行文に記している。
一説によると元は二本の松、しかもそれは黒松と赤松といわれているが、現在は幹が根元で結ばれた二木の松であり、7代目と8代目の松が「二木の松史跡公園」内に植えられ、今に息づいている。

<追記>
2011年3月11日
岩沼市では震度6、津波による浸水面積は市域の48%、直接・間接的に亡くなった方は186人、行方不明1名(平成26年1月末時点)
『2011.3.11 東日本大震災岩沼市の記録~震災から3年 地域再生と復興への軌跡~』より

参考資料:
平凡社・大百科事典
歌枕辞典 (廣木一人編・東京堂出版)
宮城県の不思議辞典 (佐々木光雄・吉岡一男編 新人物往来社)
宮城 歴史探検ウォーキング (仙台歴史探見倶楽部著 メイツ出版)
歌枕とうほく紀行  (田口昌樹編 無明舎出版) 他
岩沼市HP https://www.city.iwanuma.miyagi.jp/

※上記レポートは有志により独自にまとめられたものです。誤字や間違い等があった場合はご容赦ください。